https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20220812_M_3.html

ノーノ

色々思うところはあるが、改めて自分が音楽に望むものは緊張と緩和、ドミナントとトニック、単に和音の特性だけでなく時間軸においてもそのようなものを望むのだと認識した曲であった。

前半は、①緊張とその解放への裏切り ②緊張と二度目の正直の解放の2つに分かれていたように思う。緊張とその緩和の構造で曲を把握したつもりになっていた。間違っているとは思わないけど筆者の中で既知の枠組みに落とし入れることで理解しようとしたということもあるだろう。兎に角前半はそうやって楽しむことができた。問題は後半。

このような前半(と仮定する部分)を終えると、タム(だったっけ?)による左右の群の連打でおどけたように始まる。これにより筆者の中では今後の展開で次の2通りが予想された。一つはさらなる盛り上がりを見せる狂乱的なフィナーレ、もう一つは静かに萎んでいきながら後味を楽しむタイプ。この曲は後者だったのだが、どうにももう少しやりようがあるのではと思ってしまった。

まず音響に慣れてしまい新鮮さが失われること。途中第一群のチェロとヴィオラがドローン的に一定のフラジオを続けるが、はっきり言って飽きる。それは次第にフルートだったり、トロンボーンの強奏が重なる事で響きの先鋭さが失われることにもよるだろう。また客席後方の打楽器類がビックリ的な要素もなくなってしまい緊張感が薄れた状態がなんだか続いているが特に発展もせず、、というように受け取った。何か後味をもたせるならもっと長いデクレッシェンドの曲想を後半全体に作れば良いし、そうでないなら奇をてらったもう一段階前衛度を上げた何かが来ても良かった。一度聞いただけなのでそれ故の消化不良もある、と思いたい。
或いはシュトックハウゼンの「グルッペン」(1957)の実演を聞いたことがあれば"理解"が進むのだろうか。この曲は分割オケというよりセリーの曲だからあんまり関係ないか、、、。

途中から左の人が明らかにつまらなそうにしていてウケる。彼氏の趣味につきあわされて、お疲れ様です。でも飽きたからといってゴソゴソしないでほしい。

マーラー7番

2023/08/02今見ると結構妄想が激しいです。生暖かい目で読んでください

まず符点は長めにとり弾みがある。テノールホルンはミスがあり一瞬動揺がオケに広がったような気がしたがその後テノールホルンの出番は暫くなく無事立ち直った。テノールホルンは大音量。いきなりフルスロットルなのも印象的だった。フルートの三音の順次上行はテンポが早くさっさっと如何にも経過的な処理。というか全体的にテンポを落とさずグイグイ進行。冒頭の符点とは区別されたメロディもいくつかあった。変化が面白い。これもヴァリアンテ?
第1楽章一番最後のタンッタタンが、subitゆっくりになったのが吃驚した。

どこだったかにグスタフの交響曲第1番の勝利のテーマが引用されているのを見つけて興奮した。
第2楽章は堂々と。遅すぎず速すぎず。ここら辺りから最終楽章に繋がるモチーフを色々発見し意識しはじめた。こういった構成は特にグスタフ5番に通じるものがあると思うが、、。とにかくまあ、曲が長いよね、二楽章は。この終わりでギターとマンドリンが入場。

第3楽章はよく覚えていない。演奏より動機の変形と、左の人のゴソゴソが気になっていたと思う。追記。そういえば冒頭のティンパニとコルレーニョで、まんまベルリオーズ幻想第四楽章意識してるじゃんと思った。知らんけど。

第4楽章。冒頭若干の序奏的なものがありつつ、ホルンがアルマのテーマ(筆者が命名)を奏でる。これは第5楽章の主要主題2つ目(と筆者が勝手に思っている)と同じ。ホルンが奏でると言うのが大切。第5楽章で、ブルックナー5番っぽい(と筆者が略 マイスタージンガーだけじゃねーよと主張したい)第1主題を、いくつかホルンが第2主題(アルマのテーマ)を奏で、徹底的に抵抗したあとに、最後の最後でホルンが立場を転じて第1主題を奏でる。というのを演奏を聞きながら気がついて感動した。演奏というより、第7番を「グスタフの生涯」とみる自分の理論に自分で感動した。涙でた。変な客でごめんなさい。いつかきちんとした論文で発表したい。ただ自分が作ると結論ありきになるのがねぇ。4.5楽章の間はアタッカでは無かった。

第5楽章の、各テーマのカデンツ?次のロンド主題への移り変わり?時に、確実にフレージングを締める感じ、即ちディミヌエンドで引っ込める様子があった。その一瞬の引き込みが飽きさせなさに貢献していたと思う。テンポの変化自体は少なめだがそれ故最後まで堂々と勇ましく、上記のようにロンド主題へのホルンの回帰時には特に感動した。もっと変奏(いや、変形か)毎にガラッと雰囲気が変わる方が面白いとは思うが。

オーケストラは金管がちょっと不安定。安心して聞くことはできない。冒頭のテノールホルンを除いても全体的にハラハラした。席の場所もあるだろうけど、ホルンとトランペット弱い。冒頭のこともあり慎重になっている?もっと確信と自信を持って吹いてほしい。愛知芸文に慣れてるからか、名フィルがその2つが強い(強みだ)からかそう感じた。トロンボーンはしっかりアピールを感じた。

弦は如何にも対向配置の音。当時の演奏を再現する、らしいので聞く価値は勿論とても高い。が、対向配置は嫌いなのではっきり言うが、ボサボサでモサモサの輪郭が薄いぼやけた音だ。あとは単純に、テンポ変化の激しい曲故のバラケもあった。がご愛嬌の範囲内ではある。

チューブラーベルとヤギとウシが首から下げてる鐘は想像の10倍位音が大きかった。突き抜けてきた。グスタフ君によるとベルは永遠を表しているらしいが今のところ筆者には意味不明。結局アルマには理解されなかったし(出典なんだっけ)、グロピウスにNTRれちゃってるし可愛そう。愛は永遠じゃなかったね...。追記、永遠の愛をアルマに誓うってコト!?

トライアングル×4はあまり音が大きくなく、一人のときのほうが鋭さがありむしろよく聞こえる位だった。効果音としての意味があるのだろうけど。タンバリンも同様。タンバリンは一人で2つ振っていて面白かった。

ティンパニの音色は中庸な感じ?名フィル小泉氏指揮時ほどボヨボヨブワンではなく、ACO客演の安江氏程硬くなく。音程が聴き取りやすくて良かったんじゃないかな。これこそ反響の影響も大きそうだが。そういえば今年度の名フィル東京公演はサントリーではなくオペラシティらしい。

以前ツイッターで、高関氏指揮のコンサートの感想で音のバランスが良いとの書き込みがあったのでそれも少し意識していた。確かにきらびやかな、以前名フィルでの高関氏指揮中国の不思議な役人でも聞いたような空気を纏っていたような気もしたがそれが高関氏のバランスと言えるまでの確信には今回は至らなかった。


初サントリーホール。なんだか狭く感じる。けれど愛知芸文より200席も多いらしい。どうなってんだ。舞台の横と後ろに席が多いのだろう。今日は2LD席。舞台との距離は愛知芸文2階席とかわらない気がしたが音は遠い。打楽器の音も遠い。てことは距離も多分遠いのだろう。舞台後ろの壁の近さとかも色々関係してそう。少なくとも今日の席だと特に優れたホールだとは思えなかった。今月後半も沢山行く予定なので音響も忘れず気にしたい。8月の東京滞在、一番楽しみにしていたコンサートが終わってしまい力が抜けるよ~。

そういえばホールの空調が静かだと思った。今はコロナでどこのホールも換気がうるさいと思っていた。素晴らしい。