2022.08.23 サントリーホール #サマーフェス2022
2022年8月23日火曜日
8/23 KFW サントリーホールサマーフェスティバル
室内楽プログラム「ウィーンの現代音楽逍遥」(第1夜)-クラングフォルムのFamily Tree-
ホルン奏者が口内炎で降板。口内炎で降板て初めて聞いた。ヘルペスならたまに聞くけど。よほど出来た場所が悪く前歯の前とかだったのだろうか。故に曲と前半の曲順も変更。
客は多い。ほぼ満席。
Georg Friedrich Haas (1953-) : ins Licht for Violin, Cello and Piano (2007) 『光のなかへ』
あっという間に終わった。奏者が微分音もしっかり演奏しててすごいなあと思った。
出だしはガッツが効いていて引き込まれたが、そこだけだったな。
Salvatore Sciarrino (1947-) : Ai limiti Della notte for Cello Solo (1979) 『夜の果て』
ソロチェロのやつ。最初は夢遊的な雰囲気で統一されていて時間に身を任せる感じに曲に乗れたけど、途中からCrescendoの付いた短い音が割と唐突に始まってそれは要らないと思った。
Rebecca Saunders (1967-) : To and Fro for Violin and Oboe (2010) 『行き戻りつ』
途中まで良かったけど。オーボエの特殊奏法は面白いしヴァイオリンは微分音も特殊奏法も凄い上手だし。でもあまりにも似た事をずっとやってるので飽きて眠くなった。
Olga Neuwirth (1968-) : In Nacht und Eis for Bassoon and Accordion (2006/7) 『夜と氷の中で』
とても面白かった。ファゴットのトリル(離れた音とも)や大げさなビブラートで波打った場が形成され、それにアコーディオンの高音域の不協和音が乗っていく。ただアコーディオンの高音域は笙だね。笙の音を聴いても不協和とは感じないし安心感さえある。
曲想も陽気に私は感じた。(長木誠司氏の解説には「険しく暗鬱にして冷徹なサウンドを産み出していく。」と書かれていた。)2つの掛け合いが互いに交差していく様子と、不思議だけど可笑しい感じは個人的にはJacob Ridderbergのリコーダーアンサンブルを思い出した。
https://youtu.be/nV3nJ8OxPiQ
こういう現代音楽の偶然性っぽい対位法は好きだ。音程ではなくリズム最重要視の対位法みたいな。ポリリズムでもいいけど。この前ACOで聴いたフェリックス・デルヴォー氏の「名古屋ファゴット協奏曲」の第1楽章にも若干取り入れられていた。
Enno Poppe (1968-): Schweiss for Cello Solo, Bass Flute, Bass Clarinet, Violin and Viola (2010) 『汗』
冒頭のチェロのオスティナート、もといリフにのってバスフルートとバスクラリネットが入ってくる。バスクラリネットは弱音で一瞬どの楽器が鳴っているのかわからなかった。特になし。
後半
Friedrich Cerha (1926-) : 4 Paraphrasen for Oboe, Cello and Piano (2011) 『4つのパラフレーズ』
オーボエ、チェロ、ピアノ
今回の中で一番従来の音楽の枠の中に留まっている曲だった。これなら聴きやすい、とかはもう私は現代音楽にもだいぶ慣れちゃったので無いけど。
ただこういう自由無調でなおかつ多声的しかし各旋律は歌いやすい曲だと、どうしてもこう弾いたほうがいいのにとか、フレーズはこうだからああでとか思ってしまった。楽譜を見てないので間違ってるのは自分の方だろうけど。
引用は、ユーモレスク、オッフェンバック+マルセイエーズはかなり露骨で笑った。他はよくわからなかった。
Georges Aperghis (1945-) : Tag ohne Nacht for Contraforte Solo (2020) 『夜のない日』演奏世界初演
特殊奏法の羅列。だからなに。それらをつなき何か全体を支配する曲想でもモチーフでもコンセプトでもなんでもいいけど自分には見つけられなかった。終わり方は印象的。キー操作のパタパタ音のみでmorend。
楽器の形はコントラバスクラリネット、音はサックスにダブルリードを付けたらこんなのなんだろうなという感じ。ファゴットより相当丸く、オケ中では埋もれてしまうのではないだろうか。実際21日の武満徹「トゥリー・ライン」でコントラファゴットの代わりに使われていたようだが(?)この楽器の音というのはよくわからなかった。
普通に変奏曲とかのほうが楽器の音域音量の幅を活かしやすいと思ってしまう。
Bernhard Lang (1957-) : Schrift 3 for Accordion Solo (1997) 『シュリフト3』日本初演
解説に「速記によってまとまりのない思考の記録が書き殴られたような書体で浮き上がる」ことが意図されているとある。要はダダイスムからシュルレアリスム辺りのヤツでしょ。
この人の頭の中は随分落ち着いていて、同じところを何回も通るなと思った。
アコーディオンの音を聴いてまず思い浮かべるのはファミコンの8bitのゲーム音楽になってしまう。そのイメージを話すことに苦労した。
Beat Furrer (1954-) : Piano Quartet (2020) 日本初演
立奏。ピアノは内部奏法があった?(よく見えない)。あと少し一般客に配慮すれば、更により多くの人に理解されるのになと思った。
前半。弦の、ピッチカートがバラバラに出てくるが、重力が出てくるのが分かりにくい。Vnが高音を弾き他が続いて弾く、主題のようなものがあった。もっとこれを活かして展開すれば良いのにと思った。特殊奏法に執着せず。
後半。微分音の伸ばし。演奏はとても上手。最初のチェロリフはいつの間にか変形している。後半の部分は比較的曲作りが上手だ。けど最期の盛り上がりは単なるデュナーミクの変化だし少し冗長に感じた。
演奏会全体の感想。小さい曲が沢山で昨日よりききやすかった。以上。
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