2021.12.10 (金) 18:45 愛知芸術文化センターコンサートホール 
▊ カゼッラ:三重協奏曲 作品56 
▊ ロット:交響曲ホ長調
川瀬賢太郎(指揮/名フィル正指揮者) 葵トリオ(ピアノ三重奏) 正指揮者の川瀬賢太郎が「名フィルでもぜひ」と選んだ曲は、ブルックナーに高く評価された夭逝の作曲家ハンス・ロットの交響曲第1番。あのマーラー『巨人』に影響を与え、近年再評価が進んでいる大作です。イタリア近代の作曲家カゼッラ作品のソリストには、20代にしてミュンヘン・コンクールで優勝した気鋭の3人組、葵トリオが登場します。 https://www.nagoya-phil.or.jp/2021/0303113451.html
マイクとカメラの設置あり。 

  Alfredo Casella - Triple Concerto, Op. 56 (1933) 
 あんまり好みの曲じゃありませんでした。でも葵トリオは上手でした。何が上手いかと聞かれるとそこまでよくわかりませんでしたが、しいて言えば3人の方向性が似ていて、3人で切磋琢磨しながら若々しく前に進んでいくという印象を受けました。音は、ヴァイオリンとチェロはあまりソリストっぽいギラついた感じがせず、遠くへ飛んでくる感じはあまりありませんでした。しかし渋めの響きで3人の調和は良いです。これぞ室内楽という気がします。ピアノは速いパッセージの中でもアタックがあるところをしっかり感じられて、勢いを作っていく様子が良かったです。それでもやはり曲に面白みを見いだせず途中少し寝てしまいました。 

 チューバはF管で、前回聞いたフランクとの比較になりますが、編成が小さいので十分でした。C管と違い音が広がりすぎないのが良いです。この位の編成だとちょうどいい具合にオケをつつみ込めてる気がします。 

  予習としてコンサート直前にカゼッラ作曲のヴァイオリン協奏曲(Youtube)を聴いたのですがこれもいまいちでした。並み以下の出来に思います。ただこの録音はソリストもオケも上手ではないので、演奏者と指揮者の解釈次第で印象が変わる可能性もあることを保険に書いておきます。好みじゃないので可能性は限りなく低いですが…。


  Hans Rott - Symphony no. 1 in E Major (1880) 

 ホルン、トロンボーンとあと何かで長音が最初のほう(どこ?ひょっとしてカゼッラの方?)にありましたが、ホルンの音程って右手でちょっと弄ったりできないんですかね。結構音程下(?)にずれててだいぶ波打ってました。修正すればいいのになと思っちゃいましたがそういうものでもないんですかね。ホルン欲しい。

 第1楽章を聞いてて思ったのですが、ニールセンに似てますね。これは進行的調性(progressive tonality)が見られるからなのですが、メロディー自体もかなり似てました。(進行的調性の実現には制約がつく?それとも印象が似てるだけ?代理コードとかそこら辺の理論で説明されそうな雰囲気。)ニールセンが好きなのでかなりこれには興奮しました。おそらくワーグナーの半音階的な進行と偽終止を発展させた形が進行的調性を産み出したのではないかとか考えていました。(そもそも進行的調性自体について私の理解が曖昧ではありますが…。)(そもそもワーグナーが開祖とか。私はワーグナーが好きではなく、いくつかの序曲を除いてあまり彼の作品を聴いてこなかったのですが、これを機に色々聴いてみようと思います。) トライアングルの暴力的なオーケストラを支配しようとする連打にも、ニールセン作曲交響曲第5番のスネアドラムを連想させます。ニールセンはハンス・ロットのことを知っていたのでしょうか。ロットは作品をブラームスに1880年に見せて酷評を食らいますが、ニールセンも交響曲第1番を1892年にブラームスにみせて無視されています。(N響パンフレットより。出典求ム) ニールセンは旅行中にワーグナーの楽劇を見て否定的な立場だったはずですが、この語法にはしっかり影響を受けているのですね。知らんけど。 

  第3楽章の終わりに拍手をしない観客レベル高いですね。私は終わったかと一瞬思いました笑。マーラーが交響曲第1番に引用したこの楽章ですが、個人的興味の進行的調性に注意がもっていかれそれどころではありませんでした。ただメロディーも勿論引用されていますが、もっと全体的な構成にも共通点があるように思いました。単に時代が似てるからとかそういう理由かもしれませんが。ワーグナーを全然知らないことがあだになるとは…。 この楽章後半からホルンの疲労がかなり見えます。トランペットもきつそう。HrとTpを倍管にしたということで、てっきり負担を分散させるためかと思いきやあくまで音量確保の為なのですね。(分担しているところもあるとは思いますが…。どう?) これでは主席の安土さんやTp2番の坂本さんが唇取れそうと呟くわけです笑。
   
323小節目からのコンマスソロですが、結構音程がひどかったです。調性が曖昧なのもありますが奏者が行方不明になってどうするんですか。その後の1stVnが入ってきたときも違う調性の世界にいってしまった様子でだいぶ音が波打ってました。先日NHKFMでコンマス荒井さんのフランクのソナタを偶然聴いたのですが、やはり音程が悪いです。常に悪いのではなく5音おきに1つ外してる感じ。今までは遠慮がちな目でコンマスを見ていましたがやはり気になってきてしまいました。シェエラザードと中央アジアの草原にてでの日比さんと共にちょっと不満があります。一度気になり始めると気になっちゃうのでこれからも他の2人共に程々に注視していきます。 

 第4楽章冒頭は木管と弦が活躍、かと思えばすぐホルンが出てきます。ホルンて目立たないところでも後ろで常に音域高目で吹いてるのですよね。これは本当大変そう。そして極めつけにシューマンみたいにホルン四重奏が登場。でも8人で合奏はとても良いですね。(12/12追記:ホルン四重奏は3楽章のことかも。)
トロンボーンソロは良いのですが、第4楽章後半に出てくるコラールは音色が優しすぎると思いました。Fl, Ob, Clもユニゾンに入っている所はそういうものかもしれませんが、472~474小節目なんかは、もっとオケを抜けてくる音を出してもらわないと終楽章にわざわざTbだけでオクターブで動く意味(音響効果)が無くなってしまうと思います。音量は他が倍なのでそれで比べるのは酷ですが、とはいえまだ出せるはずです。倍管、トロンボーンの音量ときたらこれは個人的に2016年4月の家庭交響曲を思い出します。

最後はもっと音量とテンポ落としたほうが好みでした。終止感が弱く感じました。でも楽譜上も楽器が多いしこういうものだとも思いますが。

最後の最後の強奏のロングトーンを聞いて、音圧を稼いでいるのは金管楽器ではなくフルート高音なのではないかと思いました。そして4月に聴いたショスタコーヴィチ11番で感じた音圧感も、これではないかと閃きました。ショスタコ11番は打楽器とトランペットに気を引かれていましたがここで8か月越しで木管の重要性に気が付くとは驚きです。今更かよ愚か(自戒)。今日のフルートは金管の間を突き抜けて耳の奥までグイっと来るのを感じました。良いですね。
   
実際に感じた場所は忘れてしまったのですが多分こことかでしょうか。(この録音のこのシンバルってどうよ。録音なのでわからないけど触れてる時間が短すぎる。)
   

  振り返り 
 帰宅後ニールセンとロットの面識があったのか検索してもそういった記事は出てきませんでした。しかしCDの感想?についての記事が見つかりました。 
HANS ROTT: Symphony for String Orchestra in A Sharp Major – Philharmonic Orchestra of the State Theaters, Mainz/Enrico Delamboye; String Quartet in C minorl/Mainzer String Quartet – Acousence ACO-CD 20205, 46:25; performance *** sound ***: 
こちらの演奏についてだと思われます。
   
あんまり上手じゃないので繰り返し聞くのはつらい音源です。

 こちらの記事から引用しますと 
 Rott’s Symphony for Strings (Tracks 1-3) starts in the very dark key of A-flat Major to “progress” methodically to end in another key, which at that time in the still Romantic or Post-Romantic Vienna musical world was not a welcomed style of music composition. Music that progressed through harmonic changes and unexpected structural developments denied Brahms’ rigid structures and was problematic for dogmatic theorists and critics to accept and people to understand. To ask people to accept music that “outstanding” and “learned” theorists and critics would not was a complete anachronism and one that Mozart some 100 years earlier had experienced as well. Bruckner, Rott and Mahler in Vienna, Mascagni in Italy and Nielsen in Denmark for example were covered by the deprecatory epithet of the time: “Wagnerian” and/or “progressive tonality”, and treated more or less as musical freaks. 

 先進的だったブルックナー、ロット、マーラー、マスカーニ、ニールセンは「ワグネリアン」とか「プログレッシブ・トーナリティ」と蔑称されてきたとあります。マジで?蔑称だったとゎ。マーラーも自身について100年後に天下を取るみたいなことを言っていますが、ロットも今時代が追い付いてきたということでしょうか。ニールセンもバーンスタインや、最近のブロムシュテットの力で私も知ったのでありますし、1880年代の時代がじわじわ来ているのかもしれないですね。世間に広まり、単に私のマイブームで終わらないと良いのですが。 

 ロットは大器晩成型のニールセンと比較してより自由で和声も濁っていて解決までのスマートさもあまりないです。強引ですね。でもこの若々しさがとてもまぶしいです。木管の扱いの清々しさ笑も’なかなか面白いです。リズミカルなメロディー、ウィーンぽい華やかさ、もう一度聞きたいです。  記事が前後しますがその日のうちに書いたほうが良いのではとおもい先に本日のコンサートを書いてしまいました。10月に4回、11月に5回くらいコンサートに行ってるのでだんだんたまってきています。年末までに今年の分を描き切るのが目標です。 

 今日は町に人が多かったです。東山線および栄駅の腐卵臭は10月ごろから復活していましたが、町の賑わいがここまで戻ったのは久しぶりです。金曜日の飲み会が復活しているのでしょうか。おかげで駅地下と栄伏見間がタバコ臭くてかないません。町の賑わいが戻るのは良いですが、地下構内の腐卵臭と煙草が戻るのは本当に残念。愛知芸術文化センターは周りの環境が汚いのが本当に苦痛。これからまたコンサートのたびに受動喫煙の被害にあうと思うと気が滅入る。だいたい、地下街に喫煙可の店があるってどういうことなんだよ。入口からたばこの煙と匂いをまき散らして地下全体が臭くて仕方がない。なにが改正健康増進法だよふざけてんじゃねーよ。メダル嚙んでないでやる気見せろよ。


以上