しらかわホール 18:00開場 18:45’開演
■七重奏曲
■組曲「兵士の物語」
□休憩
■12楽器のためのコンチェルティーノ
■組曲「プルチネラ」
■アンコール:11楽器のためのラグタイム
指揮:山下一史
ゲストコンマス:森下幸路


Septet (1953)


 この曲はヤバイ。聞いてて気が狂いそうだった。春の祭典の初演にいた人たちもこんな気分だったのかと思うほど。兎に角落ち着く暇がないのがきつい。焦燥感煽られる。
無調っぽいが1、2楽章はAが支配的。支配的な音を感じるのに実際にはそこに着地せず永遠とさまよってる感じ。ClのA音がトラウマになりそう。常に音が埋まってて、1つのパートで調性を感じても他の楽器が遠慮なく違う調性を持ってきて滅茶苦茶にされる。それが連続して次第に耐えれなくなる。
3拍子の曲だが冒頭Clのフレーズは4+4+4+1+4+4に聞こえる。1拍のせいでフェイントがかけられて理解の困難に拍車をかけている。拍だけに。

パッサカリアで1度落ち着き音列主義を意識し最初に出てきたClの音形だなぁと考えるも不快な響きと常に鳴っている何らかの音に頭を痛め、ついに脳が思考をやめ眠くなってくる。興味のない難解な専門書を読んでる気分。この曲はまだ私には早かったか。
3楽章は全体的に軽快なので、背後に鳴ってる細かい音を意識しすぎることは減り1,2楽章ほど苦痛ではなかった。でも10分の曲なのに非常に長く感じた。早く終われと願った。
最後は気持ちばかりの長音で終結感。なに一人で終結感得てるんだ。これは作曲家のエゴじゃないのか。芸術なのか。これを理解しないと現代人じゃないのか…。厳しい戦いになりそう。

録音じゃそこまで不快じゃない。生演奏で音が分離してて楽器ごとに聞き分けられちゃうのがいけなかったと思う。多分あと1000回くらい聞いて自分で音列主義の曲書いてみてナチのワーグナー援護からの戦争を学びロマン派否定主義を芽生えさせて聴覚上の美より構造美でエクスタシーを得ることができるようになれば理解できたといえると思うけど。うーんわからん。

普段アニソンばかりでクラシックは1秒で寝る父にこの曲を聴いてもらった。「楽しくも悲しくもなくよくわからない曲」とのこと。中々的を得ている。無調なのだからその通りだ。(12/28追記 中心音がある曲は無調とは言わないらしい。)「私にも作れそうな曲」とも言っていた。これも強ち間違いじゃない。実際素人はなんかやたらと空間を埋めたがり、音が多いのだ。(ライネッケ…)

ちなみに春の祭典は大丈夫だと思う。私は無調や現代曲が嫌いなのではなく、この曲のごちゃごちゃした感じが嫌いなのだ。来年3月に名フィルと愛知芸大がやるが、、とはいえ準備を怠らないようにしないとな。ああでも複調(僅かに持っているハルサイの知識)で、2個目の調のフレーズが1個目の調の否定っぽい感じだとやばいか。録音だと平気でも生演奏だと兵器になるかも。音が苦。


L'Histoire du soldat (The Soldier's Tale) (1918)


 2曲目以降は平気だった。ヴァイオリンソロが上手。パーカッションはバチの持ち手側で叩いたり。アンサンブルは、アタックはともかく、リリースの感じはもう少し揃っていた方が良かったか。
 ストラヴィンスキーPart1では指揮棒無しで振っており、素人なのでこまごまして見にくそうなどと思ったのだが、今日は指揮棒有りで心なしかアタックは揃ってた気がした。(気がしただけ。)
 トロンボーンが上手い。

 終曲’悪魔の勝利の踊り’の1stVnがマイケル・ジャクソンぽい。Smooth Criminalは殺人鬼にアニー(名前は心肺蘇生訓練用人形から拝借)が殺されるという歌詞だ。悪魔=殺人鬼によるスムーズな犯罪の成功、とすると何か関連性がありそうな気がしてしまう。

 この曲の終わり方はパーカッション頼み。終結感はそれなりにあるものの、やはり個人的な好みとしてもう少し前から終結を予感させるものが欲しい。


Concertino for 12 instruments (1920/1952)


 コンマスのソロが微妙だった。音も飛んでこないし、何より重音の音程が悪すぎる。微分音入ってないか確認しちゃったよ。確かに難しい曲だがもう少しなんとかならないか。今日は客演コンマスだったが…。あの弓使い、ライナー・キュッヒルさんを彷彿させるものがありましたが…。勘弁して。
 トロンボーンが上手い。
1920年作曲の弦楽四重奏版を12楽器のために1952年に編曲した。今日は12楽器版。


Suite "Pulcinella" (1920)


 トロンボーンが上手い。まず、スライド操作。的確で速いポジション移動で不要な音を挟まない。それでいて音程も正確。ソフトタンギングも良い。そして発音や音量に不揃いが無い。どの音も均一に発する。単発が上手なだけでなく、高レベルな音形が常に安定して出ているのがすごい。ピアノでも上記の通り迷いのない発音。フォルテではバリっと割れた嫌味の無い快音。これはPart1、第九の講演でも感じたこと。いよいよプルチネラで大活躍してくれて嬉しい。何者?

 Zachary Guiles氏は元リッチモンド響主席で現在はどうやら新日本フィルの客演奏者らしい。

どういう経緯で日本に来たのか野次馬的に気になる。あと、リッチモンド交響楽団の現首席トロンボーン奏者の奥様は日本人だったり。こちらの方もお辞めになってるみたい。

 これは前から薄々感じてたことなんだけど、観客ってトロンボーンの良し悪しにあまり興味がないよね。やはり目立つ木管とかコンマスの方が拍手が大きい。(ボレロでさえそう。)トロンボーンも相当目立ってるはずなんだど…。逆に奏者の皆さんはトロンボーンにしっかり拍手してて、私は間違ってないと安心した笑。

 12楽器のためのコンチェルティーノのコンマスソロは難しいのでまあ、って事にしてもプルチネラでもコンマスの音程気になった。音程だけじゃなくてアタックとリリースも癖があって周りと違って引っかかるんだよな。知らんけど。


Ragtime pour onze instruments(1918)


 アンコールの為の配置換えの時間稼ぎ笑、のために指揮者からのトーク。ストラヴィンスキーPart1に来た人は手を挙げてーで8割くらいは挙げる。是非この方々に4月の就任式(大学祝典序曲他)も聞いてほしい。音楽監督としてよろしくお願いします。とのこと。
オールストラヴィンスキープログラムは聞くほうも大変だが、やるほうも大変。しかし実現できた。アンコールはわざわざ1曲のためだけにツィンバロム奏者の方に来ていただいた。等々。

 ツィンバロム奏者の方にわざわざ来ていただいたのでさぞかしツィンバロム協奏曲並みに活躍するのかと思いきやそうでもなく。5分ほどの曲で終わり。これは聞く方は面白いけど笑。オールストラヴィンスキーを破ってでももう1曲位ツィンバロムの曲をやっても良かったんだじゃ笑。
これ聞きたい(イヴァン・フィッシャー来日中止…ショック)




振り返り


 七重奏曲の焦燥感が強烈で苦手なので克服しようと10回くらい聞いてみた。2%位は理解できた気がする。一応ストラヴィンスキー後期の「agon」(1953-57)、「Canticum Sacrum」(1955)、「Requiem Canticles」(1966)とかも聞いてみたのだが、七重奏曲ほど拒否感を覚えたのは無いかな。でも、生演奏を聞くと頭が痛くなってくる予感はある。
ああこの攻撃的な不快感はストラヴィンスキーだなって、そんな聞き方でよいのかしらん。
自叙伝を読みたいな。

 公式&団員の関連ツイートまとめてみた。https://togetter.com/li/1820767

以上