8/14 石上真由子 トッパンホール18:00 19:00
自由席


いまいちノリ切れなかった。
 プログラム終演後に石上さんが「実は今日の公演開始前から明日の京都公演の中止を決めていました」と涙ながらに告白し他の奏者含め一同驚愕!みたいなシーンがあって、その後のアンコールのモーツァルト41番第1楽章の石上さんの吹っ切れたのびのびした演奏を見たらまあ、そういう告白できない時の迷いみたいなのがいくら気をつけていても無意識のうちに演奏に現れてしまって私も感じ取っていたということだったのか〜、と後付理論的な感じだが、予定演目の感想は一文でまとめるとこうなった。
 それぞれ終楽章があんまりで、ノリとかアンサンブル全体のまとまりがちょっと足りない。いわばおとなしい安全運転、というわけでもないけど…。七重奏でも指揮者欲しくなるかも。演奏者の間にテンションの齟齬がみられた。合わせるために様子見してしまい全体のエネルギーが低下。
 編曲版のベト1はバイオリンとそれ以外の音域、という感じでバイオリンを支えるべき場所が空虚で2ndVnの重要性を知れた。ヴィオラの音がかなりまろやか〜で、石上さんのザラザラと違うのもよけいそう感じたかも。ヴィオラは頻繁に調弦してたのでガット弦とか?(まろやか≠ガット弦です。一応。)
 前半のアンコールはベト7重奏の第三楽章?の主題を使ったヴァイオリンソロの変奏曲。松崎さん作曲。それからトッパンホールのチャイム、Es ist genug(JSバッハ)のアレンジですよね。前回来たときは気が付かなかったけどベルクのヴァイオリン協奏曲を聞いた恩恵がこんなところで。これも石上さんだったし確か松崎さんの作曲のアンコールだったし、面白い縁だ。

 休憩は予定から5分減。なぜなら奏者が京都へ行くから。(しかしキャンセルしてサイン会実施。)ほんとに奏者を守るための苦渋の決断だったと思います。
 後半のべと七は曲もいまいちわからなかった。変奏が純粋に結構くどく感じて…。管絃楽法はこっちのほうが聞きやすかった。クラリネットの弱音は何にも溶け込むベンリさがある。

 最後に有料プログラムを煽られて買ってしまった。チケット代があと1000円高くても行ったので別にいいけど、うっすい冊子に1000円は貧乏人には買うのは結構な決断だった。心理的ハードルが高すぎた。勿論中身は濃厚だと思うけど…。うちわはちゃんと合言葉を言ってもらったよ。
 それで、サイン会は不参加…。プライドが邪魔して参加できなかった。潔癖症で完璧主義なので100%心から素晴らしかったと思えないとサインなんて恐れ多くて貰えない。そんなんだから卒業アルバムも白紙なんだよ!以上。

これを書いていたら駅を一つ早く降りてしまった。