3/19 マラ6

 全体を聞いた感想としてはかなり満足した。今まであまりマラ6を聞いてこなかったけど、今回の演奏会のための予習や本番で「知ってる曲」にまで持ってこれた気がする。

 演奏は、京響の音程が悪いのが自分は気になるが、それでも最後のモットー和音を聞いたときに充実感を覚えたので行ってよかった演奏会と言える。

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 第一楽章。冒頭はキビキビしたしっかり目な響きだったが、すぐに丸い響きになった。提示部のテンポは中庸。展開部はしっかりテンポを落としていたと思う。再現部も中庸だが落とした展開部との差があるので効果的。コーダでは一気に速め、第一楽章を引き締めにかかる。これが良かった。

 展開部のコラールは、ハンス・ロットの交響曲第一番第四楽章冒頭の影響を受けているとみて間違いない。それからロット第三楽章にもでてくるワーグナー作曲のジークフリートのモチーフ(マイスタージンガーにも近親性の高いフレーズが登場する)もあった。ロットを感じたので感動した。
参考 https://akz8294.blogspot.com/2022/08/820.html?m=1
長大なマラ6第四楽章もロットの影響を受けていそうだけど。それはともかくマラ6第一楽章の音形を利用して作られたメロディなど、構造的なマーラーの配慮を意識することができて嬉しかった。

 第二、第三楽章は遅め。沼尻さんの丸い響きが良い方向に働いていた。第二楽章はベートーヴェンのトルコ行進曲。第三楽章はラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌにそっくりな曲だなぁ。
 スケルツォに登場する3度の跳躍を伴いながら順次下行するヤツはマラ7とも共通するモチーフなので面白かった。これについて触れている人を見たことがない。

 第四楽章も中庸なテンポだと感じた。
 肝心なハンマーは2回。当日券の列による時間稼ぎのプレトークでは演奏のお楽しみということだった。1回目はバチっという打撃音。2回目はボンという空気の音がよく聞こえた。1回目はfff,2回目はffだと教わったので、そのとおりな感じ。正直2回ともハンマーが若干早かったが、ホントに若干なので気にしてない。

 演奏は、終わりのモットーがバッチリ決まったので良かったかな。終わりよければ、というわけでもないが。その最後の和音の直前に、右の方からアラームか何かが聞こえてきてホントに悲劇になりそうだったけど、バッチリ決めてくれて爽快だった。
 トロンボーンのコラールは、おそるおそる吹いてるような音に聞こえてしまった。音程が微妙に悪いのも気になる。コラールというには変なくらいアクセント気味だったけどあんなもんなのかな。

 第四楽章の装飾的で朦朧としてるような、華美な感じと、動機の執拗な扱いなどを聞いてマラ7っぽいなと思った。

 打楽器はトライアングル×3や、手持ちシンバル×3などが見どころだった。去年8月の高関氏のマラ7でもやってたが、数増やしても音量変わらん。トライアングル大音量教徒の自分としてはトライアングルの音量は小さかった。
 打楽器は全体的に良かった。貢献度高い。大太鼓とティンパニはナイスプレー。


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 マラ6の表題性として自分が感じたものは、盛者必衰。捻くれたマーラーなら幸せ絶頂なときに空虚な物も感じたのかしらん。すると、マラ5かマラ7のフィナーレは空虚なのだろうか。私の嫌いなテオドール・アドルノの言っていること(マラ7のフィナーレは空虚で失敗作)が少しわかっちゃった気がしてなんかいい気分がしない😰 いや、たとえ空虚でも失敗作ではないだろうに。平家物語をきちんと読みたくなった。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。。。。

 次マラ6を聞くときはニーチェと仲良くなって、ハンマーの意味を探ったりしたい。なかなか難しそうだけど。リヒャルト・シュトラウスとマーラーが相互に与えた影響。シュトラウスは「ツァラトゥストラはかく語りき」やらアルペン交響曲で頻繁にニーチェとの関係が議論されるのにマーラーでは滅多にされないこと。これらはとても不自然に見える。もう少し色々探って、自分なりに納得できる解釈を見つけたい。

 あとは、怒りの日を反転したフレーズとかですかね。。。

 それにしても京響はいつ聞いても音程悪いと思うけどな。ACOほどでも無いけど、音程も音楽的な演奏の一部なので、厳しいと言われようがなんだろうが、私にとっては大事なポイント。追記。でもこの曲のモットー和音のような、決める場所では意外と崩すことなく決めてくれるかも。p~ffくらいのハーモニーは濁ってるけど、ppとfffは大丈夫。。。かも。