京都市交響楽団 京都コンサートホール大ホール 開場:午後1:30 開演:午後2:30
●尾高惇忠:女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」「子守歌」
●マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲
◎休憩
●マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
●アンコール 尾高惇忠「子守歌」

広上淳一(常任指揮者兼芸術顧問)
藤村 実穂子(メゾ・ソプラノ)
京響コーラス(女声)
 3番だからわざわざ京都まで行く予定を立てたのに1番に変更でがっくり。一瞬行くのをやめようかと思ったが、藤村氏の歌は聞きたかったので思い直し行くことにした。プレトークは広上氏と評論家とあと1名(誰だったか)で、広上氏の「もう時間ですね」などの客の心の代弁が面白かった。ホールの舞台上に段差をつけることで音響が改善されたとも言っていた。

 広上氏は2018年2月16日の名フィル以来。その時のアッテルベリ6番とシベリウスVn協は、不揃いで定まってないようで微妙だった。それ以来苦手意識があるのだが、3番だから意を決してチケットを買った。

 合唱はマスク越しの声といった感じでやはり気が滅入る。曲は普通。子守歌なのに結構頑張る曲なんだなと思った。

 リュッケルト
 来てよかった。丸く太い声で、かつ歌詞によっては時々鋭い感じも表現していてすごい。低い音域の太い声を保ったままなんの淀みもなく高域にひゅっと上がる様子に感動した。高域で早い周期(要検証)で存在感を与えるビブラートもすごい。「つ」「た」のような発音でアタックが暴れずフレージングの中に収まっていたのも印象的だった。

 オーケストレーションだが、3月5日のイル・トロヴァトーレの時にも思ったのだが、ヴァイオリンは小音でも声をかき消してしまうなと思った。コンマスソロは藤村氏の歌と真逆でノンビブラートで音同士のつながりも敢えて分離させているようだった。いきなり無粋なコンマスソロが出てきたと感じ、空気が壊されたと思った。組長氏の癖なのか意図的にそう弾いたのか知らんけど。

 マーラー1番
 1楽章冒頭がバラバラ。次のフルートソロも音程が上ずっている。音色の方向性みたいもなのは揃っていた(木管のブレンドはそこそこ良かった)のがせめてもの救い。354小節目からのテンポが上がるところは良かった。テンポは割と速めで集中力を引き出された。

 2楽章コーダで広上氏は指揮台の端から端までジャンプしていた。(1楽章の再現部だったかも)。コントラバスソロはボウイングがよく見るのと違った。今回のがオリジナルらしい。

 1楽章の354小節目周辺のテンポの変化は良かったが4楽章は雑に感じた。254小節目や、622小節目あたり。118小節目のTrbも突っ込んできたりして気になった。元気がよいというか思い切りが良いというか。Trpが最後の最後でパワーをもう1段階解放してきてた。そういう思い切りの良さは名古屋のオケには無いのでちょっと羨ましい。Hr起立時のオプションのTrpとTrb1名ずつあり。

 マラ1のオーケストレーションはやはり変だ。パートごとに熱量がちぐはぐなのが気になる。なんか対位法的にうまい事やりたいんだろうけど、動きのない部分が暇そうで、1つのパートは盛り上げてるのにもう片方は伸ばしてるだけとかで嚙み合ってない。これは昨年の名フィルでも思ったので、そういうものなのだろう。しばらく1番はいいや。

 終演後に今期で退団される2名と任期終了の広上氏に花束。コーラス再入場でアンコール。曲は前半に披露した子守歌。簡単な曲ではないがコーラスの人も曲目変更から急いで練習して仕上げてくれた等。


 このホールは初めてだった。あまり音が飛んでこないような気がした。特にコントラバス。ただ飛んで来すぎて飽和するのもどうかと最近思っている。

 名フィルx広上氏は、名フィル側が「センセー真面目にやってください」というようなやる気がない感じだったが、京都市交響楽団はセンセーと一緒になってはじけていた。一周回ってこれはこれで面白いけど、もう1回京都まで聞きに行こうとは思わないな。数年後に3番をやるよう計画しているらしいが、筆者は遠慮しておくつもり。

 クロークの荷物預かりとワインの販売もしていた。そういう所で文化の違いを感じる。名古屋もクロークは開放してほしい。楽器持ち込みの学生さんの視界や防犯、コートのガサガサ音などが気になる。

 開演前、席に不満のあるGGIが係員に「今日に限って満席なんだねぇ」「ここだと半分しか見れない。これはひどいよねぇ」とクソデカイ声で言っていた。合唱横の非買の席に移動させてもらった模様。よかったね。

以上