2022年1月30日(日)14:00開演
刈谷市総合文化センターアイリス 大ホール
S席 8,800円 A席 6,800円 U25 2,500円

指揮 鈴木優人
演出 岡田利規
原作 木下順二

つう 小林沙羅(ソプラノ)
与ひょう 与儀巧(テノール)
運ず 寺田功治(バリトン)
惣ど 三戸大久(バスバリトン)

ダンス 岡本優(TABATHA)工藤響子(TABATHA)

管弦楽 刈谷市総合文化センター管弦楽団(愛知公演)

子供たち アイリス少年少女合唱団(愛知公演)

美術:中村友美
衣裳:藤谷香子(FAIFAI)
映像: 山田晋平
照明:髙田政義(RYU)
音響:石丸耕一
ドラマトゥルク:横堀応彦
舞台監督:酒井健
コレペティトゥール兼音楽コーチ:岩渕慶子
演出助手:生田みゆき、成平有子、根岸幸

 冒頭観客席が明るくて、このまま始まるのかと思ったら演奏の開始に合わせて舞台の明転と客席が暗転が同時に起こり、舞台が始まったことを強く意識させる。カラフルな四角い照明が舞台を彩り、いかにも新演出っぽい派手な感じ。

 子供たちはアニメ調の顔が描かれたバルーンをもって登場。あれはなんだろう。「与ひょうはどうしてもお金がほしいのね(悲)」のようなことをつうが歌う場面でシャボン玉を子供たちのうち2人が吹いたり、一番最後の「つるが飛んでいる」の場面(だったっけ?)でバルーンが投げ飛ばされたりしたので、丸いそれらはお金(=与ひょうが欲しいもの?)を表しているのかとも思った。投げ飛ばしたのは、夢が散った様子を表したとか推測。が、やはり決め手に欠ける。ただ無いよりはあったほうが舞台が派手で良い。
 子供たちは出ずっぱりで上記のバルーンを隣に置いてずっと座っていた。筆者は子供たちが上半身くらいあるバルーンを転がしてしまわないか心配だった(笑)。最後のほうとか疲れてそう。出ずっぱりの演出の意図は、大人たちを見守るのではなく監視しているのかとも思ったが正確にはわからずじまいだった。歌は想像以上に上手で非常に良かった。青少年の合唱団を舐めてた反省。ソロは溌剌としていて感心した。

 (追記:ステージナタリーの記事に"原作ではつうも子供もイノセントな存在というイメージがあると思うんだけど、それをやめたいと。「夕鶴」の物語は、イノセントという要素をはぎ取っても、いやむしろはぎ取ったほうが、テーマがむき出しになってくると思う、だから子供もカッコよくしたいし、子供には“イノセントな子供”を演じてやっている、という体でいてほしい。それでチコ頭が必要なんだ、という話をしました。"とある。チコ頭があれば純朴さが取り除かれるというようなことだと思うが、なぜそう結びつくのかよくわからない。誰か説明してクレメンス。「『夕鶴』の世界の子供のときはこの頭なんだ」ともあるので、ふーんという位でもういっか…。)

 (さらに追記:熊本日日新聞の記事に、劇中劇仕立てで子供たちは観客の役割を果たしているとか、下記の衣装について男性の望む純粋さを黒で裏切ったとか簡潔に書かれており、解答合わせできる。)

 江南スタイルの与ひょうの声は、他男性2人と比べると引っ込み気味で滑らかな感じで、優柔不断さがよく出ていた。ただ単にバリトンとテノールの声質の違いだろうか。だとしたら声の設定が人物像と合っていて作曲が上手だなと思った。それに比べつうは力強い声だ。役の小林さんの声と新演出による「強い女像」が非常に合っていて説得力がある。透明で透き通るだけでは不可能な声を選ぶ演出だなと思った。その変わりアリアの「私はどうしたらよいの」等の迷っていたり困っている感じは薄かったか。ただこれも全体でみればそういう性格のつうであって、アリアの台詞を過剰に気にする必要はないとも思った。
 バスバリトンの惣どが声量があって良かった。運ずは惣どに尻を叩かれて与ひょうをそそのかす感じなので役柄もあるかもしれないが、よく飛んでくる声であったと思う。男性2人は派手な衣装で成金感、資本主義感を強調する。ただ思えば与ひょうも最初から黄色いスーツにグラサンなので地味な印象はない。だからと言って普通の黒いスーツだとあまりにも現代を狙いすぎになってしまうか。黄色いスーツは運ずと惣どに踊らされる与ひょうを強調したのかもしれない。

 つうの跪いて与ひょうの変わりようを訴える演技は悲痛で真に迫っていた。第1部の終わり、与ひょうが鶴になったつうを除いて、つうがいないというところで休憩が入る。休憩の場所は忘れていたのでツイッター民の感想を見た。何故かなんとなく休憩が2回あったように記憶していたが違った。全1幕だが團伊玖磨自身の指揮でも第2部との間に休憩を入れてるようなので(幕を下ろしただけ?)こういうものかと思った。今回は休憩に入るときに幕を下ろさなかったのが印象的。
 つうの衣装は第1部が黒い衣装で第2部が銀色の衣装に黒い羽根らしきものを模したダンサー付きというもの。黒い衣装はブラックスワンを意識したか、あるいは法廷の裁判官の衣装のように「何物にも染まらない」ことを表しているのか、と思った。後日カリヤノ号外を読んだら「つうはイノセント(純粋、潔白、無邪気)な存在で何物にも染まらない。だから白い動物というのが大事」ということが書かれていたので後者の意味合いがあるのだろうと推測する。(熊本日日新聞を見るべ)

 第2部の銀の衣装は、輝きを放つということだろうか。あまり考えすぎても意味はなかったりどうでもいいような気もする。黒いダンサーは与ひょうをおちょくっていた。(追記:ステージナタリーの記事によると、かわいそうなつう、ではなくかっこいいつうを出したかったようなので、輝きを放つという衣装に対する感想はとらえ方として間違いじゃなさそう。)つうの退場は壁をキックしてドーンと怒りを表しているようだった。もうあんたなんか知らんわ、みたいな。痛快だし今回のオペラの印象付けもバッチリ。この場面あたりで客席も明転し、観客も巻き込む。筆者は近くの人がどういう顔で見ているのか覗いてみたくなったが我慢した。

 第2部で御開帳のつうの機織り部屋はYOU-ZURUのネオンが輝く。まるでスナックゆーずるだ。ふつう綴りはYUDURUだと思うのだが、ZURUなのは何か意図があるのだろうか、と思ったが、公式HPのアドレスもZURUだしただ単に発音に合わせただけだろう。英語字幕もあるのでそういった配慮か。ゆーずるが、You are ズルい、を意味していたら面白かった。いや、やはり表しているかもしれないな。

 最後は子供たちがバルーンを投げて終わり。当日はつうの解放をイメージした。カリヤノ号外によると、つうへの「バーンと出れてよかったね」という祝福と、子供たちのイノセントなイメージを取り除きたいという意図があった模様。バルーンや劇中劇の観客役、最後のバルーン投げで無垢さの排除を訴えてきているがやはりここでも当日は子供たちの役割などがよくわからなかった。ひょっとしたら筆者は子供に対して純粋だとか無垢というイメージがそもそも無いのかもしれない。大人の喧嘩や醜さを傍観するのは当たり前というか、身を守るためにそうせざる負えないというか。なんか悲しくなってきた。

 まとめ。総じて現代演出面白い。そう思わせた岡田氏の手腕を評価する。もっと現代演出オペラやってくれい。ああ、マイスタージンガーの新演出見に行きたかったな。
 夕鶴についてはまだ消化不良の部分もあるが、ひとまず忘れないうちに記事にした。

面白いと思った感想ツイート

刈谷公演のツイートのみだが公式と感想ツイートまとめた。

リンク


・刈谷市総合文化センター アイリス ニュースレター カリヤノ




以上