概要


2023/02/03 (金) 18:45
▊ シューマン:交響曲第1番変ロ長調 作品38 『春』
 休憩20′
▊ チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64

小泉和裕(指揮)

S席:¥6,400
A席:¥5,200
B席:¥4,200
C席:¥3,200
D席:¥2,200
Y席:¥1,000(25歳以下対象・当日券のみ)

小泉音楽監督が得意とするシンフォニストの一人であるチャイコフスキー。名フィルではこれまでに1番、2番、4番、5番、6番を指揮しており、第1番『冬の日の幻想』と第6番『悲愴』は、〈東京特別公演〉でも高く評価されました。チャイコフスキーの全作品の中でも屈指の人気作である第5番は、名フィルでは11季ぶりの指揮で、定期では初めてとなります。

感想

シューマン1番
 第1楽章冒頭は厳かに進むが、響きは普段の小泉監督より柔らかめ。弦がいつものはっきりした弾き方ではなく柔らかめになっている気がした。シューマンがよく言われている楽器の重なりが多いオーケストレーションの響きとはこういうことなのか。

 今日の2曲で印象に残っているのはテンポ操作について。2曲とも「普→速→遅」の流れがあり、特に速→遅で安定感や穏やかな曲想がはっきり感じられて良かった。
 シューマンの場合、第1楽章の後ろ4分の1でのAnimatoの加速。その後dim.とdolceで減速の一連の流れ。更に第4楽章コーダでの鬼加速が見ものだった。コーダでは小泉監督の体が素晴らしくよく動いていて、いつもより快調そうに見えた。

チャイコフスキー5番
 それに比べるとチャイコフスキーは控えめな指揮。第4楽章はごちゃついていた。(58小節目~) 控えめな指揮とは、小ぶりで、ある程度オケの流れに任せる感じ。あれは、オケが暴れだしたのでそれぞれのパートの速度の様子を見て、収束させるテンポを探していたように見えた。(小ぶりの指揮の方が奏者の集中力を高める効果があるとかないとか。)
 ごちゃついていたという言い方はネガティブかも。オケが盛り上がりすぎた、そんな感じ。

 チャイコフスキーでの「普→速→遅」は、第4楽章のAndante→Allegro vivace→コーダだったと思う。多分確かおそらくめいびーvielleicht。

 Trpのアシスタントは第4楽章Moderato assai の少し前から参加。多分。 今日のトランペットは、シューマンがロータリー、チャイコフスキーがピストンだった。理由がよくわからない。



 ブラボーおじさん大量発生。ブラボーも拍手も、今日の演奏に対してではなく小泉監督に対する監督時代への感謝が多くを占めると思われる。2016年の監督就任記念に行っている身としても感慨深いものがある。
 当時の感想は、Trb弱い。Trp・Hr安定、で今とあまり変わりない。細かい響きがわかるほどの経験も無かったし。現在は金管がセクションとしてパワーアップしたと思う。





主要主題の変形


 ブログのネタが感想だけでは少ないので、作曲の技法についてほんの少し触れて、先の演奏会へつなげたいと思う。

チャイコフスキー5番


 これはわかりやすい。下のようなリズムが冒頭に示され、それと同じリズムのフレーズが長調に変形され登場する。これにより曲の全体が統一される(註1)。同じリズムで音高のみが違うものを同一音形と業界では呼ぶ。知らんけど。
こいつが、、、
こうじゃ

シューマン1番


 シューマンやシューベルトはわかりにくいが、よく見ると他の楽章の主題を変形して作られていることがある。
 上が第1楽章、下が第4楽章それぞれ冒頭のファンファーレ。第4楽章は記譜上では1/2に音符を短縮してある。2小節目の付点が下では分割してあるが、大体同じ。

 ちょっと上のはこじつけと言われそうだが第4楽章単体で見れば全く同じ音形がつかわれておりわかりやすい。

こいつが、、、

いったん暗くなり、、、

なんやかんやあって明るくなる


応用編 コーダもこの音形でできいる。登場順はCb→Ob,Cl→弦5部→Hr先導でその他。

他にも、第2楽章主題の3音の順次上行は第1楽章冒頭ファンファーレ、展開部主題、第4楽章主題と共通。第2楽章主題の4度上行は第3楽章主題と共通、などなど。

 話は変わるが、昨年のセントラル愛知がシューベルトの大ハ長調をやった時のパンフレットに「楽章ごとの主題に関連性は無い」と書かれていたがそうは思わない。筆者は関連性を指摘できる。関連性がないと結論付けるのは早計ではなかろうか。ただ、こういうのは見つけたものが勝ちなところがあって、中にはあらゆる手を尽くして変形を説明する人もいるが。程度はあるだろうと思う。

 主題の類似性は偶然ではなく、ほぼほぼ作曲家が意図して作ったものだろう。中には後世の人が深読みし過ぎで発明しちゃってるのもあると思うが。(参考:和声の講義を含めた旋律の作曲法 改訂第4番 橋本国彦著 全音楽譜出版社(1991))

 交響曲はベートーヴェンが第9番で第4楽章に第1から第3楽章の主題を入れて曲全体に統一感を持たせて以降、曲に全楽章を統一する表題やひとつの主題などがないと交響曲として認められない風潮があるように見える。ベートーヴェン以降の作曲家は循環主題やモチーフが全楽章に登場する技法、あるいは表題を与えた交響詩などを創ることで、ベートーヴェンを乗り越えなければならなかった。一方そのような全楽章を統一する表題が無いために価値を認められず不遇な扱いを受けてきた曲も出てきた。その1つがマーラーの交響曲第7番である。

マーラー:交響曲第7番




 楽譜:上が第1楽章第1主題。下が第5楽章終結部。

マーラー交響曲第7番 第1楽章第1主題

マーラー交響曲第7番 第5楽章終結部
 今のところ今年一番楽しみな4月15日都響のマラ7。これを紹介したいがために上のYoutubeやら長ったらしい文章やらを書きました。マラ7の各動機の変遷などはまた改めて紹介したいです。そして、マラ7受容を遅らせたテオドール・アドルノは嫌いです。(でも作曲技法上の動機の扱いを説明するだけではアドルノに勝てない気がします。)以上。